社会とはなにか?
今日は台風による雨の影響で、予定していた仕事ができなくなり、久々にまったり過ごしています。
昨日、近所にできた「のヴぁ公民館」という“みんなの居場所”のオープニングイベントに行きました。
“みんなの居場所”は障がい者だけが利用するのでなく、健常者、こどもや高齢者など、地域のさまざまな人に利用してもらいたい・・・という施設です。施設長さんの思いが伝わってきます。
“ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)”はユニバーサルデザインの考え方に沿ったものですが、社会はややもすると“ソーシャル・エクスクルージョン(社会的排除)”に向きがちです。こうした居場所や考え方が広がるといいな・・・と思います。
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さて訪問した時、ちょうど学生さんの「かたりのヴぁ」というのをやっていました。「語り場」「しゃべり場」と言えばいいでしょうか。参加者が思ったことを自由に語り合う場(時間)です。
夏休みに「アルス・ノヴァ」で利用者さんと生活を共にした東京の大学に通う6人の学生さんが、その時に感じたこと、施設職員さんと自分の生き方の比較など、ざっくばらんに話し合っていました。
あれこれ話が進む中、「社会とは・・・?」という議論が始まりました。施設利用者の社会参加というあたりからの流れだったのですが、私自身、いろんなことを考えさせられました。
就職を控えた大学生の率直な声です。
「(学生にとっては)社会に出るというのは就職するということ」
「友だちと内定先の話をしていて、『三菱商事』と言うと、『神~』なんて反応になるけど、聞いたこともないような企業やNPOだと、『ふふ~ん』なんて感じになる」
学生が社会をどういう目で見ているか、端的に表しているな~と感じました。
一方、「社会は人そのもの、人の共同体(正確な表現は忘れてしまいました)」、そんなニュアンスのことを話す参加者も。また「人は社会のために生きているのではない」との声も。
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価値観、尺度を、経済に置くか、人に置くかで、「豊かさ」は大きく変わります。個人的には “ゼロサム” ではなく、そのバランスが大事だと思います。
ソーシャル・ビジネスやコミュニティ・ビジネスが注目されるのも、これからの社会をどうしていくのかという模索ではないでしょうか。
今の人口減少、東京一極集中“社会”と、それに対するアンチテーゼ(教育を含め)を投げかける何かを感じました。