コロナ危機における政治とメディア

昨日「慶應義塾全国議員連盟」の総会・研修会がありました。東京に行くのは1月以来、今年度初の県外研修です。

昨年の総会は県議会で北米を訪問していたので2年ぶりの母校でした。ここに来ると「ああ、なつかしき三田の山~♪」のフレーズと「若き血」がよみがえります。

研修のメインテーマは議連内に「危機管理ネットワーク議連」を発足したのに伴い「危機管理」としました。塾の先生の講演を備忘録としてアップしておきます。

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◆議連顧問講演 「災害と福沢諭吉先生」 

福沢研究センター 都倉 武之 准教授

災害時募金は今でこそ当たり前の感があるが歴史がある。新聞による最初の災害募金は1885(M18)年の大阪淀川洪水。次いで自然災害ではないが1886年ノルマントン号(沈没)事件、1888年会津磐梯山噴火、1891年濃尾地震、1896年三陸大津波と続く。

福沢先生は当時「時事新報(新聞社)」に携わっており、ジャーナリストのあるべき姿として募金活動を行った。ノルマントン号募金は被災者家族支援だが、クラウドファンディングのはしりともいえる。

濃尾地震は前年に国会が誕生した直後に発生したが、当時の社説に「震災の救助は政府の義務にしてこれを受くるは罹災者の権利なり」と論じるなど、国家(政治)と災害のかかわりを指摘している。

また関東大震災の時は、「天譴論(天罰)」がまかり通ったが、それに対し科学的、実証的に報道を行った。

災害を通して国とはどうあるべきか?政治はどうあるべきか?政治家はどうあるべきか?を常に考えることが基本であり、科学的(実学=サイヤンス)精神で行動することが重要。

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◆メイン講演 「コロナ危機における政治とメディア」 

メディアコミュニケーション研究所 山腰 修三 教授

今回のコロナ禍で「メディアの影響力」とそれに伴う「危機管理マネジメントの課題」が顕在化した。

1.メディアの影響力

コロナを直接経験した国民は少ない。多くの国民はコロナリスクをメディア経験として感じとった。

メディアは変化している。かつて、報道はプロの手によるものだったが、今はSNSで誰でも発信できる。欧米の病院の医療崩壊の現場、クルーズ船の状況などYoutubeで誰でも見ることができ、さらにそれをワイドショーが伝えた。

国民が最もリスクを感じたのは著名人(志村けん)の死。SNSとワイドショーの共振によりさらに危機意識が高まった。

国民はワイドショーとニュースを同じ感覚で見る。情報番組と報道番組を同一視しており、ワイドショーのコメンテーターの発言がSNSで拡散された。

政府の緊急事態宣言後、「ハッシュタグアクティビズム」により「不安・恐怖」が「不満・怒り」に変化。バズワードは「アベノマスク」と「コラボ動画」。

「新しい日常」により、メディアのスポーツ、ドラマ報道が再開し、批判的報道が減った。メディアは国民の日常感覚を左右する(ex.東日本大震災のAC広告)。

2.危機管理マネジメントの課題

新型コロナ対応民間臨時調査会の調査報告が詳しく解説しているが、課題は大きく3つ。①リスクコミュニケーション体制の未確立、②全体戦略の不透明さ、③国民の不安・不満・批判への対応不足。

メディアは全てを伝えない。ルーティンで「政府」「専門家会議」「知事」など多くの情報を発信したが、全ての情報について「選択と編集」を行った。各セクターはメディアにどのように報道されるかを考えた“イメージ管理”が重要。

3.民主主義的コミュニケーションの危機と政治のあり方

Fake News、Alternative Fact、Filter Bubbleなどにより、「他人の声を聴かない、言いたいことを言う、信じたいものを信じる」という風潮が高まっている。

米国だけでなく国政においても「説明責任」を果たすべき人が「説明を拒否」している。

国民も、みんなに認められたい(嫌われたくない)ために「批判」を受けるような議論を避ける傾向にあり、「批判」が機能不全を起こしている。

「異なる意見を聴く力」が試されている。議会はこれを高める必要がある。

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◆このほか、会員でもある埼玉県新座市の並木市長、埼玉県久喜市の梅田市長からも市政報告をいただきました。

コロナ禍での「財政非常事態宣言」や、特徴ある「IT、外国語教育」など参考になりました。