民主主義と権威主義

「権威主義」という嫌な言葉を聞く機会が増えました。

意味はみなさんに検索していただくとして、「権威主義」はさらに、先日バイデン大統領が指摘した「専制主義」、某国のような「全体主義」、また「独裁主義」などに区分されるようです。

北朝鮮を筆頭に、中国と香港など周辺地域の関係、ロシアの外交姿勢、“アラブの春”後の中東、ミャンマーの政変など、民主主義を否定する動きが世界各地で勢いを増しているように感じます。

新型コロナの感染拡大防止についても権威主義的手法が有効、との評もあります。

日本でも嫌な気分になることがあります。国会での論戦を聞いていて、権威主義的な傲岸さを感じたことがあるのは私だけでしょうか。

マックス・ヴェーバーは第一次大戦後(1919年)の名著「職業としての政治」で次のように述べています。

「政治にとって決定的な手段は暴力である。政治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係を持った者は、悪魔の力と契約を結ぶものである」

「悪魔の力は情け容赦ない・・・、が修練によって生の現実を直視する目を持つこと、生の現実に耐え、打ち勝つ能力を持つこと、これだけは(政治家にとって)何としても欠かせない条件である」

「政治家にとっては、情熱、責任感、判断力の3つの資質が特に重要である」

「政治とは、情熱と判断力の2つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」

100年後の今も政治は同じ過ちを繰り返しています。政治家がいかに修練を積み、“悪魔の力”に打ち勝つか・・・。

私は、これからも「民主主義」の可能性を信じます。