二輪車産業の行方

Titan

スズキ豊川工場の「ファイナル・フェスタ」に行ってきました。

毎年、夏または秋に、スズキの各工場では、ご近所のみなさまへの感謝の気持ちを込めて「おまつり」を行っています。

「ファイナル」の意味は、来月で工場の生産が終了し生産移管されるためです。すでに船外機は湖西工場に移管され、二輪車もこの夏、浜松市の都田地区に移管されます。

今回は特別な思いで参加された方も多かったはずです。豊川工場は1971年から二輪車の生産を行ってきましたが、鈴木修会長のお話では、それ以前の四輪車の生産等を通算すると、70年の長きにわたってこの地でお世話になったそうです。

会長からはみなさまへの深い感謝の気持ちが述べられました。

私にとっても感慨深いものがあります。元々、オートバイが好きで入った会社ですし、豊川工場で生産されたバイクを、ずーっと乗ってきましたから・・・。

また私が労組役員だったころは、GSX-Rシリーズが人気で生産が追いつかず、「変則カレンダー」の導入や一部工程では24時間勤務(4組3交代)を導入するなど、労使協議をさんざんやりました。

それが今や、国内二輪車市場の縮小や途上国の二輪車市場の拡大などで、海外生産が増え、二輪は“絶滅危惧種”と呼ばれるようになっています。

従業員の雇用は浜松工場や湖西工場への異動などで対応します。通勤でご不便をおかけすることになりますが、私は会社が国内に生産拠点を残す決断をしたことだけでもありがたいと思っています。

ホンダとヤマハ発動機が原付の生産で協業するなど、二輪車の生産は厳しさを増しています。二輪車産業を守りたい。私の政策課題のひとつです。

【写真は鈴鹿8耐に出場する「チームタイタン」のメンバー】

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